はじめまして!!
はじめまして
久米島病院、看護師の本多由理子
です。
私は、『国際医療ボランティア団体・ジャパンハート・海を越える看護団
』
という団体から、派遣・ボランティアとして、5月から久米島
でお世話になっています
宜しくお願いします
私のお気に入りスポット:儀間港
久米島に来て、5ヶ月が経ちました。
病院では、先輩看護師さん
やドクター
から、沢山教えて頂き、本当に勉強になります
様々な状態の患者さんへの対応、様々な事情のある家族への対応を、
限られたスタッフで全てに対応しなければいけない環境
は
離島僻地ならではだと思いました。
1人1人の負担や責任の重さは大きいですが
、患者さんやご家族からの1言や笑顔
が、
なによりも嬉しく
、頑張ろうと思える
スタッフを見ていて、そう思いました
医療の知識や技術だけでなく、
人として、とても成長させてもらえる島だと思います
日に日に、沖縄が、久米島が好きになっていると実感しています
。
風・太陽・星・緑・海・人、
自然いっぱい
あたたかさいっぱい
です。
是非々、久米島に遊びに、働きに、きたらいいさ~
儀間エイサーに参加させて頂いた病院スタッフ
『国際医療ボランティア団体・ジャパンハート・海を越える看護団
』でも、
【ぽん】というネームでブログを書いているので、是非ご覧下さい
by 【ぽん】こと Ns本多由理子

久米島病院、看護師の本多由理子

私は、『国際医療ボランティア団体・ジャパンハート・海を越える看護団

という団体から、派遣・ボランティアとして、5月から久米島


宜しくお願いします


久米島に来て、5ヶ月が経ちました。
病院では、先輩看護師さん



様々な状態の患者さんへの対応、様々な事情のある家族への対応を、
限られたスタッフで全てに対応しなければいけない環境

離島僻地ならではだと思いました。
1人1人の負担や責任の重さは大きいですが


なによりも嬉しく


スタッフを見ていて、そう思いました

医療の知識や技術だけでなく、
人として、とても成長させてもらえる島だと思います

日に日に、沖縄が、久米島が好きになっていると実感しています

風・太陽・星・緑・海・人、
自然いっぱい


是非々、久米島に遊びに、働きに、きたらいいさ~




【ぽん】というネームでブログを書いているので、是非ご覧下さい

by 【ぽん】こと Ns本多由理子
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元島の研修医 Part2
島を離れて早2週間。
東京はすでに秋です。
思えば3週間あっと間でした
久米島についた日、一面のサトウキビ畑に唖然とし、海のきれいさに仕事に来た事をうっかり忘れ(た)るところでした

仕事初日、まず目に入った‘がやがやとした待合’も知り合いの多い島ならではで、妙に静まり返った待合になれた私には驚きでした
仕事はといえば、ゴミの捨て方から、手書きカルテ・紙オーダー、初日すでにキャパオーバー
今になっては早かった3週も、あの日、先が思いやられ、元島の研修医に泣きついた気が(笑)
山のふもとで、都会とは無縁の生活をしていた私にとって、憧れだった東京にでて早8年。
自分の体内時計も東京時間でスピーディーになったと大きく勘違いしておりました。
本当に病院職員の皆様、多々ご迷惑おかけし申し訳ありませんでした
1000人以上の職員がいる病院に所属している私にとって、久米島病院での研修は何もかもが衝撃でした。
心電図異常があれば循環器に、皮疹が出現したら皮膚科に、尿が出なくなれば泌尿器科に、肩が痛ければ整形にと他科に相談をする習慣がついていました。
しかし、島には皮膚科の先生も泌尿器科の先生も常勤の先生はいません。
いらっしゃるのは、内科・整形外科・小児科の先生のみです。
他科? 何いってるのという状態です。
初診外来(そもそも初診外来自体初めての体験です。実際は救急外来しか外来研修はしていませんでした。)で、肩が痛いです・指挟みました・膝が膨れましたなどなど、内科救急外来では見たことのない主訴が並んでいます。
えっ・・・
唖然としているうちにカルテはたまっていきます。
いい経験でしたの一言ではすまないくらい、多くのことを学ばせていただいたのが内科初診でした。
島の言葉もわからず、おじい・おばあのパワフルさに圧倒され、笑顔
に癒され、めまぐるしく時間がたっていきました。
薬のコンプライアンスや薬の形態・大きさ、そして薬の値段。いままで、気にしたことのない面での配慮も学びました。
患者様の求めていること、気になっていること、早々言葉にでてくるものではありません。そこを組みとる必要性と難しいさ。
実感しました。
久米島病院の先生方の外来を見て、‘あっ、こういうことなんだ。’自分で外来をしたことで気がつくことができました。
また、初診外来以外にも新しいことはたくさんありました
※病棟:病棟は東京でも行っていました。しかし、紙カルテの指示の出し方から、検査のオーダーまで全く最後までなれることはできませんでした。病室からみえる、これまたサトウキビ畑と海
病室から高層ビル街しか見ていなかった私は、いつも目を奪われました。カーテンの空いた病室もまた明るくいいものでした。
※ 整形外科外来:整形外科山田先生の外来では、問診・診察のみでなく、関節穿刺やグラム染色など実際東京では行っていなかった実践を経験させていただきました。本島での手術後、杖なし歩行で外来に来ていたおばあとおばあの家族の姿は今も鮮明に覚えています。MRIをとるならば、本島に行かなくてはならない久米島では、問診・診察から本島へ行く必要性についてしっかりと患者様に説明しなくてはなりません。ただでさえ、身体を動かすことが億劫になってしまった患者様にとって、本島へ行くことはかなりの労力を伴います。また、高齢の方が多く、家族との話し合いも必要です。東京では、MRI見てからかな・・・そのような考えは通じませんでした。
※ 中体連救護:島の中体連が開催されました。中体連!といえば、出身地では学校の代表を決めての花形の大会でした。
外来にでていると、発熱の中学生などが、‘中体連でれないね’や‘ぎりぎりかな’などの発言多発
あれ?この子も選手
毎年応援部隊であった私には、羨望のまなざしです。
しかし、ふと何かがおかしいと実感。一人何種目もエントリーされています・・・。島ではなんと全員が選手!そんな中体連は本当に活気にあふれ、すでに走ることさえままならなくなった私は、中学生の若さに嫉妬
しながら見学させていただきました。
大会では大きな怪我もなく、晴天の中順調に大会が終わり、救護班というよりも一応援者として大会を楽しむことができました。そして、海をみずに育った私にとって、海が見える高台の中学校はうらやましい限りでした。ここで学生ライフを送っていたらと勝手に想像していました

※ 手術:緊急手術も含め、2件の手術に立ち合わせていただきました。島に外科医のいる強みですね。
※ 往診:そもそも都会にも往診はありますが、島での往診が私にとっては働き始めて最初の往診となりました。患者様のみならず家族との絆。家族が実際にしている介護の大変さ、重要さ。医療者が見ていない日々の移り変わりについて、家族と医師との対話の必要性。日常のニュースで取り上げられている状態が久米島にもありました。自宅が一番かもしれない、自宅に帰った方が、家の状態も知らずに安易に考えていた自身を恥じると共に、医療者の憶測のみでなく、現場と向き合っていかなくてはならない現状に強く心打たれました。
※ 特養ホーム往診:サトウキビ畑を抜けた高台にありました。高齢化した島には必要不可欠な場所ですが、現状ではまだまだ人数的に足りていない状態です。食堂に集まる人々、集まれない人々、往診同様感じるものは多い現場でした。病院へ行く必要性を吟味し、当たり前ですが、病院との架け橋として往診が動いていました。介護度の高さ、認知症のかたも多い中、職員同士の結束の強さが短時間いただけの私にも伝わってきました。食堂に広がるおじい・おばあの笑顔
がまた印象に残っています。
※ 学校健康相談:小児科医伊藤先生に同行させていただきました。私が同行させていただいた、三崎小学校は島の中でも全校生徒数が少ない小学校です。丁寧に書く親御さんへの手紙、学校医の仕事にこのようなかたちのものがあることをはじめて知りました。学校の先生からの感謝の言葉、先生の活動をかいま見れました。
また、この小学校で‘しに’の意味を知りました。三崎小学校のTシャツのプリント‘しに’の言葉に最初面くらいましたが、意味を知り納得
私が覚えられた数少ない方言の中のひとつとなりました。
※ 薬物乱用防止教室:これまた伊藤先生に同行させていただきました。小学校5.6年生対象のこの教室、先生の準備の姿も目撃している私にとっては成功を祈るのみでした。実際、聞き入る小学生たちの姿や発言する小学生達の姿があり、非常に活気ある授業が行なわれていました。
私も中学生時代には薬物乱用教室がありましたが、既成のビデオが上映されたのみであまり大きな印象に残っていませんでした。記憶として残っていたのは、体育館の床の冷たさくらいでした。
しかし、なんとも手作り満載なこの授業、実験もあり、クイズコーナーもあり、見ていてほほえましくもあり、私自身もかなり楽しめました。薬物・アルコール・タバコ全てが一様に子供達の手にもたやすく渡る世の中となっています。中学生時代、休み時間にはタバコをすう同級生・シンナーを吸う同級生目の当たりにしてきました。その当時、何がいけないのか、身体への害がどれだけあるのか、あいまいな知識しかありませんでした。また、はっきりと教えてくれる人もいませんでした。
今ならば絶対にいけないこと、そうわかっているからこそ、子供達に少しでも考える機会となればと思います。

などなど、上記以外にもたくさんの経験をさせていただきました。
毎日海を見ながら通勤し、
休日は海へ行き。当直制万歳
先生方のみならず、看護師さん、放射線技師さん、検査技師さん、理学療法士さん、皆さんに本当にお世話になりました。また、ご迷惑おかけしました
島だからのんびりとした研修というわけには行きませんでしたが、久米島にきたからこそ学べた・体験できたことがたくさんありました。島で行った自分の医療は再度自分に戻ってきます。その怖さも実感しました
日常業務がルーチンワークのようになっていた時期に、今一度考え直す機会になりました。
また抗生剤等初歩的なことから、学びなおす機会ともなりました。
最後になりましたが、島の医療としてではなく、ひとつの医療現場として、これだけすばらしい現場である公立久米島病院で研修できたことは、大きな大きな財産となりました
将来を決めるこの時期、医師を続けることさえ疑問を持っていた自分にとって、再度医師を目指した気持ちを思い起こすことができました
医療はどんどん進化していきます。そうなるとどんどん高みを求めていくでしょう。
今以上、そう考えることが普通です。
久米島の人々には久米島病院の現在の医療現場があって当たり前かもしれません。
しかし、この現場を一度振り返ることも必要かもしれません。
島だからできないのではなく、島だからできること、島でできること、目の前の患者様が求めることは?暑い現場がありました
久米島から帰り、
1週間の休憩が終わり、
また明日(今日)から次の島に研修に行きます
なんといわれようとこれが私の研修です
将来について、久米島で研修医更に悩むこととなりましたが、のんびりあせらず自分のペースで決めたいと思います。
本当に言葉では言い尽くせない感謝です
長々と失礼しました。
VIVA 久米島
東京はすでに秋です。
思えば3週間あっと間でした

久米島についた日、一面のサトウキビ畑に唖然とし、海のきれいさに仕事に来た事をうっかり忘れ(た)るところでした


仕事初日、まず目に入った‘がやがやとした待合’も知り合いの多い島ならではで、妙に静まり返った待合になれた私には驚きでした

仕事はといえば、ゴミの捨て方から、手書きカルテ・紙オーダー、初日すでにキャパオーバー

今になっては早かった3週も、あの日、先が思いやられ、元島の研修医に泣きついた気が(笑)

山のふもとで、都会とは無縁の生活をしていた私にとって、憧れだった東京にでて早8年。
自分の体内時計も東京時間でスピーディーになったと大きく勘違いしておりました。
本当に病院職員の皆様、多々ご迷惑おかけし申し訳ありませんでした

1000人以上の職員がいる病院に所属している私にとって、久米島病院での研修は何もかもが衝撃でした。
心電図異常があれば循環器に、皮疹が出現したら皮膚科に、尿が出なくなれば泌尿器科に、肩が痛ければ整形にと他科に相談をする習慣がついていました。
しかし、島には皮膚科の先生も泌尿器科の先生も常勤の先生はいません。
いらっしゃるのは、内科・整形外科・小児科の先生のみです。
他科? 何いってるのという状態です。
初診外来(そもそも初診外来自体初めての体験です。実際は救急外来しか外来研修はしていませんでした。)で、肩が痛いです・指挟みました・膝が膨れましたなどなど、内科救急外来では見たことのない主訴が並んでいます。
えっ・・・

唖然としているうちにカルテはたまっていきます。
いい経験でしたの一言ではすまないくらい、多くのことを学ばせていただいたのが内科初診でした。
島の言葉もわからず、おじい・おばあのパワフルさに圧倒され、笑顔

薬のコンプライアンスや薬の形態・大きさ、そして薬の値段。いままで、気にしたことのない面での配慮も学びました。
患者様の求めていること、気になっていること、早々言葉にでてくるものではありません。そこを組みとる必要性と難しいさ。
実感しました。
久米島病院の先生方の外来を見て、‘あっ、こういうことなんだ。’自分で外来をしたことで気がつくことができました。
また、初診外来以外にも新しいことはたくさんありました

※病棟:病棟は東京でも行っていました。しかし、紙カルテの指示の出し方から、検査のオーダーまで全く最後までなれることはできませんでした。病室からみえる、これまたサトウキビ畑と海

※ 整形外科外来:整形外科山田先生の外来では、問診・診察のみでなく、関節穿刺やグラム染色など実際東京では行っていなかった実践を経験させていただきました。本島での手術後、杖なし歩行で外来に来ていたおばあとおばあの家族の姿は今も鮮明に覚えています。MRIをとるならば、本島に行かなくてはならない久米島では、問診・診察から本島へ行く必要性についてしっかりと患者様に説明しなくてはなりません。ただでさえ、身体を動かすことが億劫になってしまった患者様にとって、本島へ行くことはかなりの労力を伴います。また、高齢の方が多く、家族との話し合いも必要です。東京では、MRI見てからかな・・・そのような考えは通じませんでした。
※ 中体連救護:島の中体連が開催されました。中体連!といえば、出身地では学校の代表を決めての花形の大会でした。
外来にでていると、発熱の中学生などが、‘中体連でれないね’や‘ぎりぎりかな’などの発言多発


毎年応援部隊であった私には、羨望のまなざしです。
しかし、ふと何かがおかしいと実感。一人何種目もエントリーされています・・・。島ではなんと全員が選手!そんな中体連は本当に活気にあふれ、すでに走ることさえままならなくなった私は、中学生の若さに嫉妬

大会では大きな怪我もなく、晴天の中順調に大会が終わり、救護班というよりも一応援者として大会を楽しむことができました。そして、海をみずに育った私にとって、海が見える高台の中学校はうらやましい限りでした。ここで学生ライフを送っていたらと勝手に想像していました


※ 手術:緊急手術も含め、2件の手術に立ち合わせていただきました。島に外科医のいる強みですね。
※ 往診:そもそも都会にも往診はありますが、島での往診が私にとっては働き始めて最初の往診となりました。患者様のみならず家族との絆。家族が実際にしている介護の大変さ、重要さ。医療者が見ていない日々の移り変わりについて、家族と医師との対話の必要性。日常のニュースで取り上げられている状態が久米島にもありました。自宅が一番かもしれない、自宅に帰った方が、家の状態も知らずに安易に考えていた自身を恥じると共に、医療者の憶測のみでなく、現場と向き合っていかなくてはならない現状に強く心打たれました。
※ 特養ホーム往診:サトウキビ畑を抜けた高台にありました。高齢化した島には必要不可欠な場所ですが、現状ではまだまだ人数的に足りていない状態です。食堂に集まる人々、集まれない人々、往診同様感じるものは多い現場でした。病院へ行く必要性を吟味し、当たり前ですが、病院との架け橋として往診が動いていました。介護度の高さ、認知症のかたも多い中、職員同士の結束の強さが短時間いただけの私にも伝わってきました。食堂に広がるおじい・おばあの笑顔

※ 学校健康相談:小児科医伊藤先生に同行させていただきました。私が同行させていただいた、三崎小学校は島の中でも全校生徒数が少ない小学校です。丁寧に書く親御さんへの手紙、学校医の仕事にこのようなかたちのものがあることをはじめて知りました。学校の先生からの感謝の言葉、先生の活動をかいま見れました。
また、この小学校で‘しに’の意味を知りました。三崎小学校のTシャツのプリント‘しに’の言葉に最初面くらいましたが、意味を知り納得

※ 薬物乱用防止教室:これまた伊藤先生に同行させていただきました。小学校5.6年生対象のこの教室、先生の準備の姿も目撃している私にとっては成功を祈るのみでした。実際、聞き入る小学生たちの姿や発言する小学生達の姿があり、非常に活気ある授業が行なわれていました。
私も中学生時代には薬物乱用教室がありましたが、既成のビデオが上映されたのみであまり大きな印象に残っていませんでした。記憶として残っていたのは、体育館の床の冷たさくらいでした。
しかし、なんとも手作り満載なこの授業、実験もあり、クイズコーナーもあり、見ていてほほえましくもあり、私自身もかなり楽しめました。薬物・アルコール・タバコ全てが一様に子供達の手にもたやすく渡る世の中となっています。中学生時代、休み時間にはタバコをすう同級生・シンナーを吸う同級生目の当たりにしてきました。その当時、何がいけないのか、身体への害がどれだけあるのか、あいまいな知識しかありませんでした。また、はっきりと教えてくれる人もいませんでした。
今ならば絶対にいけないこと、そうわかっているからこそ、子供達に少しでも考える機会となればと思います。

などなど、上記以外にもたくさんの経験をさせていただきました。
毎日海を見ながら通勤し、

休日は海へ行き。当直制万歳

先生方のみならず、看護師さん、放射線技師さん、検査技師さん、理学療法士さん、皆さんに本当にお世話になりました。また、ご迷惑おかけしました

島だからのんびりとした研修というわけには行きませんでしたが、久米島にきたからこそ学べた・体験できたことがたくさんありました。島で行った自分の医療は再度自分に戻ってきます。その怖さも実感しました

日常業務がルーチンワークのようになっていた時期に、今一度考え直す機会になりました。
また抗生剤等初歩的なことから、学びなおす機会ともなりました。
最後になりましたが、島の医療としてではなく、ひとつの医療現場として、これだけすばらしい現場である公立久米島病院で研修できたことは、大きな大きな財産となりました

将来を決めるこの時期、医師を続けることさえ疑問を持っていた自分にとって、再度医師を目指した気持ちを思い起こすことができました

医療はどんどん進化していきます。そうなるとどんどん高みを求めていくでしょう。
今以上、そう考えることが普通です。
久米島の人々には久米島病院の現在の医療現場があって当たり前かもしれません。
しかし、この現場を一度振り返ることも必要かもしれません。
島だからできないのではなく、島だからできること、島でできること、目の前の患者様が求めることは?暑い現場がありました

久米島から帰り、
1週間の休憩が終わり、

また明日(今日)から次の島に研修に行きます

なんといわれようとこれが私の研修です

将来について、久米島で研修医更に悩むこととなりましたが、のんびりあせらず自分のペースで決めたいと思います。
本当に言葉では言い尽くせない感謝です

長々と失礼しました。


AHA-BLS for HCP久米島コースの報告
今月6日に久米島にて初めてAHA-BLS for HCPコースを開催しました
。
BLS(Basic Life Support)とは、心肺停止状態の人に対して行う救命処置を指します。
ひと口に「救命処置」といっても状況や環境に応じて種類は様々ですが、
目的は医療機関で行う二次救命処置が始まるまでの間,心臓・脳への酸素の供給を
絶えないようにして救命率を上げることです.それほど難しい事はなく、ABCの習得です。
AはAirway(気道確保),BはBreathing(人工呼吸),CはCirculation(胸部圧迫心臓マッサージ)を意味します。
最近は某太っちょタレントのマラソンで有名になりましたが
もう少し前にはドラマ「ちゅらさん」で有名となった小浜島(約650人)にて
女性の方が急に倒れ、その場に居合わせたホテルの職員さん?が
BLSに則り、心臓マッサージや、AED(自動体外式除細動器)を用いて心拍再開させることが出来たPAD(Public Access Defibrillation)症例がありました。
これは、AEDやBLSの普及を頑張ってやっている診療所スタッフや、
医療資源に限りがある離島で働き、生活している人たちの高いモチベーションのなせることでしょう。
本当に素晴らしいことだと思い、我が島久米島も頑張らなければと思っていました
。
久米島には、ヤル気満々の消防隊の皆さんがおり、島民向けにBLS講習を行ったりしています。
久米島まつりの際には、こども向けにセーフキッズセミナーを開催したりもしていました。
病院としてもこれらに協力できないものかなあ と思っていましたが、
うまく時間も合わず、連携不十分で叶いませんでした。非常に申し訳ないと思っています。
うまく連携していくためにも、まず自分達がしっかりとBLSを身につけなければいけまい
と考えていました。
みんないっぱいいっぱいで働いており、なかなか本島まで受講しに行くこともままならず、
院内(身内)でやるBLSも行ってくれていましたものが頼りの状態でした。
何せ初めてのことで、準備に時間がかかりましたが、
今回、琉球大学病院救急部の久木田先生、県立中部病院救急センターの高良先生、
東部消防の金城さんを始め、様々な消防隊の皆さん達の協力を得て
久米島でのBLS講習会を開くことができました。
参加者は久米島病院の看護師さん達、中でも島人の看護師さん達や、本土から来たくれている看護師さん達が主体でした。
後は、役場保健師、保育園の看護師さん、育児に勤しんでしばし看護師業務を休んでいる人たち、透析室にいる臨床工学技師?、病院医療事務、そして院長先生などです。
朝早くから、ピリッとした緊張感に包まれた空気のなか講習は始まりました。
まずは準備運動。
スライドやビデオで学んだ後はひたすら実技です。

あっちこっちで、「大丈夫ですか!!?」
「119番通報して下さい。AEDがあれば持ってきて下さい!!!」という声が響きます。
日頃はクールに仕事をしている人が大声を出していて、真剣さが伝わり
最初は寝不足全開で緊張感なく参加した自分も次第に熱くなってきました。
皆、真剣です。 倒れるのは自分の家族かもしれません。

皆、真剣です。 息をしていないのは自分の大事な子供や孫かも知れません。

医師であろうと院外で何もなければ、やる事はBLSに基づきます。 基礎に立ち返り真剣に取り組みます。

BLSを知っている人が1人より2人のほうが、より質の高い心肺蘇生が可能となるかも知れません。

楽しく食事をともにしている友人や家族が、

笑い過ぎて突然のどにものを詰まらせてしまうかもしれません。
みんな、しんけ。。。

何はともあれ、全員合格してライセンスももらえることとなりました。
ペーパードライバーでは、勿体無いので
しっかりと忘れずに身に着けるためにも、島でのBLS普及に努めるため
皆協力して頑張れればいいなあ
AEDの普及は、医局の若い衆と役場、ホテル事業者などで人知れずすすんでいるようですが
まだまだといったところでしょうか
近々、「まだ暑いって。。。」という環境下での久米島マラソンがあります。
ハイリスク代表として自分が参加を表明したら、
意外とBLS/AEDの普及になったりして...
と本気で思い始めている今日この頃です。
小さな一歩ではありますが、これが継続性を持ったものになり、
普通の上等な波になり、広がっていければいいなあ と思っています。
最後に
会場準備、機材搬入をしてくれた総務課 N道とゆかいな仲間たち
マンパワー不足のために受講希望しながら今回参加せず勤務にあたってくれた看護師さんたち、
無理くりシフトを作ってくれた師長さん、
わざわざ久米島まで来てくれたインストの皆さん、久木田先生、高良先生
色々とフォローしてくれた医局の皆に
感謝して報告とさせていただきます。

どうも有難うございました。 SHINZATO

BLS(Basic Life Support)とは、心肺停止状態の人に対して行う救命処置を指します。
ひと口に「救命処置」といっても状況や環境に応じて種類は様々ですが、
目的は医療機関で行う二次救命処置が始まるまでの間,心臓・脳への酸素の供給を
絶えないようにして救命率を上げることです.それほど難しい事はなく、ABCの習得です。
AはAirway(気道確保),BはBreathing(人工呼吸),CはCirculation(胸部圧迫心臓マッサージ)を意味します。
最近は某太っちょタレントのマラソンで有名になりましたが
もう少し前にはドラマ「ちゅらさん」で有名となった小浜島(約650人)にて
女性の方が急に倒れ、その場に居合わせたホテルの職員さん?が
BLSに則り、心臓マッサージや、AED(自動体外式除細動器)を用いて心拍再開させることが出来たPAD(Public Access Defibrillation)症例がありました。
これは、AEDやBLSの普及を頑張ってやっている診療所スタッフや、
医療資源に限りがある離島で働き、生活している人たちの高いモチベーションのなせることでしょう。
本当に素晴らしいことだと思い、我が島久米島も頑張らなければと思っていました

久米島には、ヤル気満々の消防隊の皆さんがおり、島民向けにBLS講習を行ったりしています。
久米島まつりの際には、こども向けにセーフキッズセミナーを開催したりもしていました。
病院としてもこれらに協力できないものかなあ と思っていましたが、
うまく時間も合わず、連携不十分で叶いませんでした。非常に申し訳ないと思っています。
うまく連携していくためにも、まず自分達がしっかりとBLSを身につけなければいけまい
と考えていました。
みんないっぱいいっぱいで働いており、なかなか本島まで受講しに行くこともままならず、
院内(身内)でやるBLSも行ってくれていましたものが頼りの状態でした。
何せ初めてのことで、準備に時間がかかりましたが、
今回、琉球大学病院救急部の久木田先生、県立中部病院救急センターの高良先生、
東部消防の金城さんを始め、様々な消防隊の皆さん達の協力を得て
久米島でのBLS講習会を開くことができました。
参加者は久米島病院の看護師さん達、中でも島人の看護師さん達や、本土から来たくれている看護師さん達が主体でした。
後は、役場保健師、保育園の看護師さん、育児に勤しんでしばし看護師業務を休んでいる人たち、透析室にいる臨床工学技師?、病院医療事務、そして院長先生などです。
朝早くから、ピリッとした緊張感に包まれた空気のなか講習は始まりました。

スライドやビデオで学んだ後はひたすら実技です。

あっちこっちで、「大丈夫ですか!!?」
「119番通報して下さい。AEDがあれば持ってきて下さい!!!」という声が響きます。
日頃はクールに仕事をしている人が大声を出していて、真剣さが伝わり
最初は寝不足全開で緊張感なく参加した自分も次第に熱くなってきました。
皆、真剣です。 倒れるのは自分の家族かもしれません。




皆、真剣です。 息をしていないのは自分の大事な子供や孫かも知れません。





医師であろうと院外で何もなければ、やる事はBLSに基づきます。 基礎に立ち返り真剣に取り組みます。


BLSを知っている人が1人より2人のほうが、より質の高い心肺蘇生が可能となるかも知れません。

楽しく食事をともにしている友人や家族が、


笑い過ぎて突然のどにものを詰まらせてしまうかもしれません。
みんな、しんけ。。。


何はともあれ、全員合格してライセンスももらえることとなりました。
ペーパードライバーでは、勿体無いので
しっかりと忘れずに身に着けるためにも、島でのBLS普及に努めるため
皆協力して頑張れればいいなあ
AEDの普及は、医局の若い衆と役場、ホテル事業者などで人知れずすすんでいるようですが
まだまだといったところでしょうか
近々、「まだ暑いって。。。」という環境下での久米島マラソンがあります。

意外とBLS/AEDの普及になったりして...
と本気で思い始めている今日この頃です。
小さな一歩ではありますが、これが継続性を持ったものになり、
普通の上等な波になり、広がっていければいいなあ と思っています。
最後に
会場準備、機材搬入をしてくれた総務課 N道とゆかいな仲間たち
マンパワー不足のために受講希望しながら今回参加せず勤務にあたってくれた看護師さんたち、
無理くりシフトを作ってくれた師長さん、
わざわざ久米島まで来てくれたインストの皆さん、久木田先生、高良先生
色々とフォローしてくれた医局の皆に
感謝して報告とさせていただきます。

どうも有難うございました。 SHINZATO